「地方の人はさ~」―ちょっと待って!その話、主語が大きくない? ~課題解決を、ミクロに、もっとミクロに見る~
-本記事は知夫村役場地域振興課へ1ヶ月インターンで来島した堀くんに書いていただきました。堀くんありがとうございました!-
「知夫村」
今まで聞いたことのない村。どうやら隠岐の離島らしい。人口は…約600人、おお、私がかつて通ってた小学校の全校児童数と同じくらいだぞ。
大学の春休み、3年の最後。この時期、通常の大学生は就活というものをするらしい。よっしゃと意気込んで2~3月の春休み中に行われる3日くらいのインターンのためにエントリーシートを出していたあの頃が懐かしい。10個20個…いくつ出したか分からない。そして今、2月の頭になって未だに今からでも行けるインターンはないものかと探している自分。就活がスイスイ進んでいる奴らとは、おそらく友達になれまい。
そこで「知夫村」という文字が目に入ったのだ。1か月のインターンか、こりゃ丁度いい。とてつもなく小さな島だが、どうせ暇なんだったら、一つ「他にはない個性」とやらを獲得しに冒険しに行くのも悪くなかろう…
令和6年2月19日20時40分、東京駅を夜行バスにて出発。岡山駅でバスを降り、再び米子駅までバス。ゲゲゲの鬼太郎電車に乗って境港まで行った後、でっかいフェリーで3時間。同2月20日16時35分、知夫村来居港着。どれだけ人里離れた場所か、想像していただけるだろうか。
村の道に目をやると、学生や子供連れなど、若い人が多く歩いている。ふーん……
ん?若い人?
どういうことだ?ここは過疎高齢化地域なんじゃないのか?
話を聞くに、3か月だか1年だかの期間限定で、私のような学生や若者が来ていたり、移住で新規に来る人(Iターンというらしい)が相当数いるらしい。特に、この島には、「島留学」だか「島体験」だかという、優秀な若者を呼び込む制度もあるらしく、みんな地域おこしとか、過疎化とかいう社会問題を真剣に考えている。あれれ?私のようなプータローが来るにはお門違いなとこに来ちゃったカナ?
もちろん、この島には、ずっとこの島に住んでいる人もいれば、一回出て戻ってきた人もいるし、島外で生まれたが家族が島にいたので島に移住してきたという人もいる。
島の約600人は、それぞれ違う約600人である。なるほどなるほど。
「知夫の中でもいろんな人がいて、それが複雑に絡み合っている。『○○の人は』とか、主語をあまり大きくしない方がいい。大事なところを見失うよ」
ある日、隣の海士町で、ホテルを経営しているという方と話をしたときに言われた言葉だ。何気なく「知夫の人は」という言葉と同時に話を始めていた私は、ガーンと叩かれたような心持がした。
出来の悪い私は、なんとなく視点を大きくしていたのである。「地方の人は」「隠岐の人は」「知夫の人は」―しかし、その中にも、いろんな人がいて、決して一括りにできるようなものではない。
「地方をなんとかしなければならない」
「日本をなんとかしなければならない」
「世界をなんとかしなければならない」
それは、とことん突き詰めてみると、一人一人の関わりあいの集合体でしかないのである。
この島の人に、「地域おこしで何か新しいことをしようという動きについてどう思いますか?」と聞いてみると、「まぁその人とのつながりとか、関係性によるよね」と言われる。それはそうだ。なるほどなるほど。
さて、私がインターンをするのは「合同会社島守ちぶり」というところらしい。ほうほう、船の接岸、つまり島に来るフェリーを港につける仕事をするんだと。
「フェリーは、人だけじゃなくて物資も運んでるから。島の食料とかは、フェリーで外から運ばれてくる。」
なるほどそうして島の商店にいろいろお菓子やら野菜やらが並んでるのか……
……
てことはこの離島の食料安全保障はこの会社の人たちにかかってるのか⁉
そう考えると彼らの背中が輝いて見える。
後々気づいたことだが、この島ではそういうことが結構多い。島に一人の警察官、島唯一のケーキ屋さん、島唯一のラーメン屋さん、数少ない金融機関(JAと郵便局)……。個人の重要性が高いという訳だ。そうした個人個人の集合が、島をつくりあげている。
地域は、個人を無視して語れない。なるほどなるほど。
役場で、新たに漁業をやりたいという方の資金繰りについての会議を見学したことがある。村の漁師さんの弟子として働いていて、その腕はお墨付き、さぁ独立という時に、お金の問題が立ちふさがる。船も網も設備も、買いそろえるには金がかかる。
「この村に漁業を新しくやりたいなんて若者なかなか来ないんですよ!!」
村役場の方が、島根県の職員に迫る。
よくよく聞いてみると、銀行から融資を得るために、島根県の「認定新規漁業者」というものを受けようという交渉の最中であった。
この島の基幹産業は、漁業や畜産といった、いわゆる第一次産業である。しかし、漁業あるいは畜産一筋で、生計を立てられる人は片手におさまる程度で、みんな何かしら他の仕事を同時にしている。そして、その多くが、60歳以上だ。ただ座っているだけでは、衰退してしまう。
今日も、何かの挑戦が動いている。
これが地方創生の現場か。なるほどなるほど。
人口が増えればいいという前提は、みんな共有しているものだと思ってたけど、変化を望まない人もいて、その前提は共有されてるものじゃないんだなぁと驚いたことがある。
ある村役場職員の方の声。彼は島出身だが、しばらく本土で働いた後Uターン。本土にいるあいだ持っていた、いわゆる「外からの視点」とのギャップが、この言葉に現れている。
島の人と話していると「何か変えよう」だけでは済まない地方の今が浮き彫りになってくる。
「人口は減るよ、もう増えないだろう、減ることを前提にいろいろ考えていかないとダメだね。でも僕たちはこの島でしか生きていけないから、たとえ不便になってもなんとかして住み続ける。」
「この島が好きだからこの島に住んでいる。何か変わってほしいとは思わない。下手に経験積んでこの島を変えてやるぜ、ていうのは何を言ってるの?て感じだね」
「ピンチをチャンスに、ではないが、どうしようどうしようって考えて工夫していくのがまた楽しい。マイナスなことを考え始めるとキリがないからね」
こうした、島にずっと住んできた人たちから発せられた言葉たちは、私の脳裏に強く残っている。まさに「地域おこしのために何か変化が必要」という前提を、ぼんやりと抱きながら島に来た私には新鮮な言葉たちであった。
なんとかしよう、というベクトルと、このままでいい、というベクトル 。
一見性質が異なり、対立するようにも見える。んー、しかし、本当にそうなんだろうか?別に、どっちも間違いではないと思う。なんだか頭がグルグルするなぁ。
「ちょっとさ、note書いてくれない?」
この島に来る前に、さすがの無計画魔人の私も、知夫の情報を集めたりしていた。当然、この村の公式のnoteもいくつか読んだ。…で、私にもそのお鉢が回ってきたという訳だ。島で感じたこと書けってか、「こないだ食ったサザエうまかった」だけでは済まされまい。困った。
なんといっても私自身、結論がまだ見えてないからだ。自分の頭の鈍さがこういう時にうらめしい。
知夫村。
島の約600人は、それぞれ違う約600人である。
主語を大きくしてはいけない。地域は、一人一人の関わりあいの集合体でしかない。個人を無視して語れない。
なんとかしよう、というベクトルと、このままでいい、というベクトル。どういう関係性であるべきか?対立しているのか?あるいは、実は同じ方向を向いていたりして…?
それぞれが、それぞれの思いを持っている。
そして、今日も、島に日はのぼり、また沈んでいく。
大学でよくある「地域はこうした方が良い!」「こういう制度/法律をつくるべきだ!」「こうすれば地方の人は助かる!」と、なにか俯瞰しているような、大きな、マクロな視点だけで、島は動いていない。そのマクロな絵を動かしているのは、結局ミクロなところなのである。
ミクロに、ミクロに、掘り下げる必要がある気がする。まるで、小さな機械の中を開けて、より小さな部品の細部までとことん見ていくように。
このミクロな視点を、この短期間で獲得したとは思わないけれども、少なくともその存在を知ることができたのは、ここに冒険に来た甲斐があったというものだ。
さぁ、本土に帰ったら、大学やら就活やらで、また「課題解決」とか「国際問題」とか大きな話をさせられるんだろう。これからは、私はちょっと違った視点で、そうしたマクロを語ることができるぞ。へっへっへーんだ。
本土でもがんばるぞ~!
田舎にいると、なんとなく故郷を思い出す。お母さん元気にしてるかなぁ。
ピロン♪
おお、噂をすればLINEが。
「全然連絡してこないけど、元気にしてる?」
「どこにいると思う?知夫里島だよ!」
「? どこ?」
……
本土に帰ったら最初にがんばること:母への布教。
完
筆者紹介
堀 翔貴(ほり しょうき)
名古屋出身の大学生。18歳で大学進学のため上京する。名古屋と東京と、いわゆる大きな街にしか住んだことがなく、こうした小さなコミュニティーは初めて。知夫のお気に入りは、島津島から望む神島と浅島の景色。