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散文:地方移住ライト層のひとりごと

2022/9/29

あなたがどんな人でなぜこの記事を読んでいるか
わからないが、何かの助けになりたい。

「島移住者のリアルを伝える」
それがこのnoteの存在意義だから。

ちぶり島公式noteをお読みいただきありがとうございます!今回はまぎーが担当します。

(なんだか悦に入ったポエム調ですね。照れ隠しということで勘弁していただければ幸いです。)

島への移住期間も折り返しを迎える中、エースなぎんこの記事にも刺激を受け、本心の吐露、自分語りチックなものをお届けしたくなりました。

それでは、(黒歴史確定の…?)散文の続きをどうぞ!



しかし私には、島の代表として
「知夫里島で生きること」
について語る資格はさらさらない。
あまりにも当然だけれど。

移住者代表ですらない。
そもそも移住歴が半年で、
ひとり物思いにふける時間も多い
“地方移住ライト層”だから。

そういう訳で、
ライト層の色眼鏡から見える
離島、知夫をシェアすることで、
何かの形で誰かのヒントになれればと思う。

なぜ移住してきたか

ホテルentoよりフェリーを臨む 島前に来て数日目

個人的な話をすれば、

  「都会に擦り切れた」

…たったそれだけの理由。

予備軍は何万人といるんじゃなかろうか。自分はその中で行動に移した一人に過ぎない。それは行動力があるためではなく、敷かれたレールとセーフティーネットからこぼれ落ちて彷徨っていたからで。(…迷惑な話だ)

だから、とにかく羽を休める1年にしたい。そして、地方移住のリアルを窺い知る1年にできればいい。その中で、なにかお返しできることが少しでもあればいい。

…正直に言えばそんなところでした。


島から貰えるもの

圧倒的自然、ヒートアイランドからの解放、ゆっくりとした時間の流れ、島でしかできない「遊び」…

素潜りスポットに連れて行っていただく

 <圧倒的自然>
そういった環境面で離島、とくに知夫里島に勝るところはそうそうない。その海を知った後でハードルを越えられる海水浴場がどれだけあるか。その景観を知った後でなお満足させられる名勝はどれだけあるのか。罪なほど圧倒的なそれがここにはある。

 <ヒートアイランドからの解放>
真夏に本土へ渡れば思い出す。アスファルトの照り返しの不快指数を。秋が来れば思い知る。残暑とはイレギュラーな存在だったということを。

 <ゆっくりとした時間の流れ>
例えば日没後や日の出前に散歩すると実感すること。それは車の交通も皆無に近く、電車や飛行機、そして雑踏の騒音とも無縁な世界。島と生き物と自分だけ。止まった時を動かすものは、天体と漁船をおいて他にない。

 <島でしかできない「遊び」>
この時代、マネタイズされていない遊びほど尊いものはない。小舟で浅海へ出て、ウニに刺されながらさざえを毟り取る。尿意をこらえつつ清冽な海面に漂えば、眼下にイカのスクールが踊っている。(御厚意へのタダ乗りは蜜の味。)


島へ返せるもの

若い人手、都会での社会経験、担い手…

牛さんたちに飲み水の配給

 <若い人手>
高齢化率が5割にせまるような地方/離島において、体を動かせる若い人手は貴重な存在だ。頭脳労働より肉体労働の方がよっぽど希少性が高い。特に離島では、本土であれば専門の業者に外注するような体を動かすジョブを島内の人手で完結させるケースが多い。島の大先輩方は信じられないほどパワフルで、助け合いのコミュニティも強固だ。だからかえってUIターン組や若い層こそ、若い人手を欲していたりする逆転現象も垣間見えたりする。

 <都会での社会経験>
そうはいっても都会でのホワイトカラーの経験が全く役に立たないわけでもないです。関わる場所によってだけれど。全国基準で執り行う必要のある事務仕事に対応できる人材が不足しているから、基本的なPC操作やIT知識・社会人経験が都会とは比較にならない付加価値になる。いまもし、経験豊富な総務経理のプロが移住してきたら、縁の下のスーパーマンとして引く手あまたになるだろう。

 <担い手>
お祭り・行事・イベント事など何かにつけて担い手は必要だ。人手と担い手の違いはどこか、それは単発か半永久的かの区別ではないだろうか。その点、期限付き移住では担い手になることはすこし難しい。もちろん、人手として助けること、一緒になって楽しむことはできる。


地方移住ライト層の現在地

お隣西ノ島にてサイクリング

 <半年過ごして考えること>
ロケーションと環境だけを求めて移住することにうっすらと罪悪感のようなものが芽生えてきた。これは実際に移住するまでは無かった感覚だ。その2つ以外の要素とはなにか。まさしく人との関わり、コミュニティへの参画だ。いまや都会では暮らす場所とコミュニティは物理的に分離していることがほとんどだろう。でも離島では違う。その意味で、コミュニティに属していないことは暮らしていないことに等しいのかもしれない。

 <半永久的な移住のために>
だからこそ、半永久的な移住を目指す場合はどこで暮らすかよりどのコミュニティに属すかが重要で、その肝心の部分を運に委ねる正攻法の手順では、ミスマッチを起こすかどうかもまた運ゲーになってしまうのではないか。どこに移住するか、だけでなく、どこのコミュニティに移住するか、という視点(と擦り合わせの機会)を持つこと。カロリーやコストが上がっても、それが双方にとって長期的にはプラスになるように思う。(その点、知夫村地域振興課には頼れる相談役がいます! 「事前来島」もおすすめ)


最後に

お世話になっている牛飼いさんと

こんな風によく、抽象的な考えを巡らせてはいますが、「知夫村」「知夫里の人々」の前ではそんなものすべて霧消します。明るく優しく器がでかく、何事も楽しく・和気あいあいとやっていく術を共有している。折にふれて島のことや言葉や出来事を教えてくれるし、折角来たのに祭りやイベントが少なくてかわいそうだなあと心配してくれる。よそ者にも日本一気持ちよく挨拶を返してくれるし、おすそ分けだってたくさんくれる。直接触れ合うたびに、自然と恩返ししたい気持ちが積み重なっていきます。こんな自分でいいのかなと反省することはあっても、知夫里島に来なければ良かったと後悔したことはありません。


・・・以上、若干の唐突さは否めないながらも、直観とめぐり合わせに身を任せて離島、そして知夫村に流れついた者の散文を終わります。
(何かの足しになっていますように。)

最後までお読みいただきありがとうございます。