見出し画像

「健康づくりは人づくりであり、地域づくり。」 離島で保健師として働くということ。

知夫村役場では現在、保健師、保育士、看護師の募集を随時おこなっています。

「離島で専門職として働くということ」について、知夫村で35年間行政保健師として活動され、現在は在宅保健師として島内の保健活動に携わるYさんにお話を伺いました。


保健センター(知夫村役場内)

Yさん
島根県仁多郡横田町(現・奥出雲町)出身。
島根県立保健師専門学校を卒業後、島根県の保健所保健師として3年間、その後知夫村で35年間、行政保健師として働く。
知夫村役場退職後は、非常勤保健師(相談の場:通いの場、役場、就労継続支援B型事業所)として勤務。

現在は在宅保健師として、新生児訪問と乳児健診に従事。
島根県在宅保健師等の会「ぼたんの会」に所属し、ボランティアで子育て支援や介護予防支援の手伝いもおこなう。

「皆さんから元気をもらって、楽しいです!」



知夫村の保健師になるまで

高校生時代、保健師は身近な存在でした。

家族を訪ねてくる保健師さんや、テレビ番組で生活保護自給者に寄り添う保健師さんを見て、「人の役に立つ、人に喜ばれる仕事っていいな」と思い、保健師を目指しました。

島根県立看護学校で学ぶ中、再入院する患者さんや糖尿病の患者さんを見て、予防の重要性を強く感じるように。

入院して病気が治っても、その後の生活が改善されなければ、また病気にかかってしまう。
ケガが治っても、その後のケアが適切でなければ、不自由なく生活することが難しくなってしまう。

看護師は病気になった人の療養に寄り添う一方で、保健師は「ゆりかごから墓場まで」人のライフステージ全てに関わるしごと。
健康な人も、病気になった人も、障がいをもつ人も、すべての人が自立した生活を送れるように支援する。

高校生時代に抱いた夢は揺るがず、島根県立看護学校卒業後は島根県立保健師専門学校に進学します。
フィールドワークや実際に働く人たちとの関わりのなかで、行政保健師として働くことに触れ、卒業後は保健師として島根県の職員に。
尊敬する保健所長さんがいる出雲保健所を希望しましたが、最初の赴任地は黒木保健所(現・隠岐保健所島前保健環境課)でした。


赤ハゲ山から見る隠岐諸島


隠岐郡西ノ島町にある黒木保健所は、隠岐島前(どうぜん)地区3町村(西ノ島町、海士町、知夫村)を管轄していました。
隠岐に来たのはこの時が初めてで、離島での生活も初めて。

隠岐での任期を終えたら本土の保健所に異動することになるかな、と思っていましたが、黒木保健所に勤めるあいだ、知夫村の人とご縁があり、結婚

知夫村に保健師がいなかったこともあり、結婚を機に、「もっと島のみんなの役に立ちたい」と考えるようになって。

県の保健所を退職して知夫村の採用試験を受け、知夫村の保健師第1号となりました。


人はおよそ600人、牛もだいたい600頭、タヌキはなんと2000匹。それが知夫里島です。


1人だけど、独りじゃない。知夫村のほけんしごと。


当時は保健師が自分1人
他に専門職もおらず、担当する業務が多岐に渡りました。
でもいつも、職場の方々には助けられていました。

そして、だからこそ、若いころから主体的に予算計画や事業の発足に携わることができました。

「井の中の蛙になってはいけない!」と、島外の研修に参加したり、島外から講師を招いたりと、学びの機会も、自ら計画を立てて実行します。
離島という隔てられた環境の中でも、業務のうちで本土に出る機会はたくさんありました。


本土と隠岐諸島を結ぶフェリーは、島民の大切な「足」です。


関係機関と連携を取りやすく、PDCAサイクル(計画・実践・評価・改善のサイクル)を回しやすい
ことも、小さな自治体ならでは。

健康づくりは、個人の努力だけでは難しい場合もあります。
そんな時は地域にも視野を広げ、問題解決の「種」がどこにあるのかを探します。
個人、地区、行政や関係機関・関係団体……どこに働きかければ、島民の健康につながるのか。
視野を広くもって、人と情報、人と組織、組織と組織を繋げ、問題解決や目標の達成に向かってともに動くことが重要です。

計画・実践・評価・改善して、結果を踏まえて、より良いものにする。
立ち上げた地区組織が自立した活動をおこなえるように、どう育てていくか考えることも醍醐味の1つです。


また、小さい島なので、ゆりかごから墓場まで、一貫して島民の人生に寄り添うことができるのも、魅力の1つです。

新生児訪問でお母さんの悩みを聞き、周りの人たちに働きかけたり、
保育所や小中学校、島内外の関係機関と一緒に子どもの健診体制を強化したり。


全7地区の、コンパクトな島です。


中でも一番力を注ぎ、楽しさ・やりがいを感じられたことは、地域住民の声から健康づくり・まちづくりをおこなったことです。

そのきっかけは、地域の健康相談で「いつまでも知夫で暮らしたい」という意見があがったこと。

そこで、鳥取大学医学部環境予防医学分野のお二人の先生方の協力を得て、全7地区で座談会「いきいき語る会」を開催し、
 ・地区の自慢できる良いところ
 ・問題点&課題
 ・こんな地区だったらいいなと思う、住民の願いや想い

について住民から聞いた意見を、ラベルワークでロール紙に貼る作業を続け……
2年をかけて、以下の3つの願いに集約しました。

①人生の最期は知夫で迎えたい。
 高齢者生活支援ハウスに、寝たきりの人も家族のある人も、入所できるようにしてほしい。
②墓や空き地の管理
 高齢化した住民だけでは背負いきれないので、対策を講じてほしい。
③気軽に地区で集まれる場所が欲しい。


そして役場や保健所、社会福祉協議会で話し合い、島内へ周知し、

①人生の最期は知夫で迎えたい。
→高齢者生活支援ハウスに、寝たきりの人も家族のいる人も入所できる体制を整える。

②墓や空き家の管理をなんとかしたい。
→民間ボランティアセンターを新設し、活動を開始。

③気軽に集まれる場所が欲しい。
→各地区集会所に予算をつけ、毎月集まれる場所(健康づくり交流の場サロン)をつくる。

これらは地域福祉行動計画や、知夫村第5次総合振興計画に、住民の声が反映されたものとなりました。


最期まで、この島で。


また、知夫村は移住者が多く、役場職員も半数以上が島外出身者です。
県外や海外出身者もおり、多様な背景をもった人たちと共に働いていました。

専門職の人員が少なかった時期も、課内(村民福祉課)で悩みを共有し、一緒に悩んで考えてくれる仲間がいました。

現在、知夫村には常勤の保健師はおりません。
ですが本土で暮らしながら月に一度来島して保健活動にあたる、非常勤の保健師が数名働いています。

最近ではオンラインの研修も増え、他地域の保健師や医師たちと、簡単に交流をもつこともできるようになっています。


島民の困りごとをその人だけの問題とせず、地域全体にも視野を広げ、健康づくりからまちづくりをおこなう。
健康づくりという観点から、地域を「見て」「つないで」「動かす」ことが、行政保健師の役割であると思います。


知夫村での暮らし

役場職員なので、土日祝日はもちろん、年末年始や夏季休暇もあります。
時間外勤務の手当もあり、休日出勤のときは代休を取れるので、しっかり休むことができます。

島民と直接かかわる仕事なので、仕事からプライベートの交流につながることも魅力の1つです。

知夫村は移住者が多いためか、島に暮らす人たちは気さくで親しみやすく、フレンドリーな人が多いです。
海の幸や山の幸を、お裾分けにいただくことも。


美しい海が、身近に広がります。


物価は本土に比べお高めですが、インターネット通販も届くし、海に囲まれ、山があり、家庭菜園もできるので、自給自足の暮らしを経験することができます。

島にはユネスコ世界ジオパークに認定された雄大な自然と文化があり、壮大な景色を前にすれば、疲れも悩みも薄れてしまいます。



車を少し走らせれば、こんな光景に出会えることも。


あとがき

様々な縁が重なり、知夫村の保健師となったYさん。
離島という限られた環境のなかで、できることを模索し続け、生まれた島ではないけれど、保健師として島の人たちに育てられました。

取材の最後では、
「こうして長い間、知夫村の皆さんと楽しく関わらせていただいたのは、まず自分が健康であったことと、家族の理解があったことだと感謝しています」
と、述べられていました。


へき地であっても、誰もが安心して、健康で、自分らしく生きていくために。
健康づくりから進める地域づくりを、知夫村でおこないませんか?


LINK

募集の詳細や知夫村役場に関しては、以下のリンクをご覧ください。


また、Yさんたち知夫里島の保健師活動が、NPO法人へき地保健師協会さんでも取り上げられました。
こちらも併せてご覧ください。


(文:R6年度大人の島留学生 佐藤)